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つらくてイラストが全く描けなくなった私が、描くのがまた楽しくなり上達サイクルに入るまでに行った対処法【スランプ|怖い|練習|気力|きつい|しんどい|燃え尽き症候群】

こんにちは!めお(@meeowmiya)です。アメリカでフリーランスのイラストレーターをしながら世界中のクライアントと仕事しています。

本記事では、スランプに陥り、つらくて作品制作が全くできなくなった私が、また制作を楽しみながら上達サイクルに入るまでに行ったことを紹介します。

本記事はこういった悩みを持つ方にオススメです。

  • 絵が描くのが楽しくなくなった。
  • 練習しても絵がうまくならないし、描くのが怖い。
  • ただ時間が過ぎていくだけでプレッシャーが募るばかり
  • 休んでも休んでも「描きたい」という気持ちにならない
  • 「楽しむのが一番」と言われても楽しみ方がわからない

私自身、ネットやYouTubeで似たようなサイトを検索しつつ解決方法を探していたのですが、「休む」「SNSから離れる」「楽しむ」といったメジャーなアドバイスがあまりピンと来ませんでした。

しかし、絵がうまくなる以前にマインドセットを変えることによって魔法のように制作が楽しくなったため、シェアさせて頂こうという考えに至った次第です。

それでは詳しく見ていきましょう。

そもそも何故描くのがイヤになるのか

我々はみんなもともとは描くのが楽しい時期があり、描くのが好きだったはずです。

そして、描くのが好きだったから今のレベルまで上達しました。

しかし、何か原因があって、描くのがイヤだという現在に至ります。

描くのがイヤになる原因とは何か?

私もそうでしたが多くの場合、ふたつの原因が同時にあって描くのがイヤになると思っています。

  1. 「上手く描けなきゃいけない」という期待>好きなものを描く喜び
  2. 「何でもっと上手く描けないんだ」という自己評価>上達のプロセスを楽しむ喜び

逆に言えば、この2つのメンタルブロックがなくなればまた絵を描くのが楽しくなり、自然に上達のサイクルに入ると思っています。

では、それぞれがどうして描きたくない気持ちに影響を与えるのか、また、これらのメンタルブロックを外すためにどのような行動をしたのかを解説します。

メンタル編①「上手く描けなきゃいけない」という期待

描くのがイヤになっている時期は「うまく描けないからイヤになって描かない」という状況に陥っていると考えます。

この考え方は、うまく描けないことを悪とする考え方です。

安部吉俊氏の記事では、筆者が「デッサンの狂いを発見できたら、嬉しいはずなのに、一瞬『嫌だな』という感情が針で刺すみたいに一瞬意識の中に沸き起こる」と表現しています。

また、さいとうなおき氏のこちらのYouTube動画では、自分の絵とお手本の絵を比較する時間を「地獄タイム」と表現しています。


では、なぜそもそもなぜデッサンが狂っている・お手本と比べて似ていない現象を『地獄』『嫌だな』と思うのでしょうか?

本来改善点を見つけ、改善できる良いことのはずなのに。ここが私はずっと疑問でした。

根本的に「絵が下手=ダメ」という認識があるからだと思います。

「絵が下手=ダメ」という認識が生み出す悪循環

でも、実際は「アーティストや美大生が責任や評価の伴う制作をしている」非常に限られた場合以外は「絵が下手=別にダメじゃない=別に直さなくてもいい」は本来正しい認識です(絵が下手でも人を傷つけないし、普通に生活は送れますから、何もダメなことはありません)。

「絵が下手なこと=タブー」という考えのもとでは、下手な絵を絶対に描いてはいけない恐怖と、下手な絵を描いてしまったときの罪悪感に苦しむことになります。

けれど一方で、たくさん描いて練習しないと、絵はうまくなりません。

その結果、プレッシャーと自己嫌悪の地獄の無限ループに入ります。

俯瞰してみてみると、このような悪循環では燃え尽きるのは何ら不思議ではありません。

  1. 下手な絵は描いてはいけない(恐怖)
  2. 下手な絵を描いてしまった(自己嫌悪)
  3. でも下手だからこそ練習しないと(プレッシャー)
  4. ①-③をn回繰り返す
  5. 燃え尽き、描くのがイヤになる

「絵が下手=ダメ」の認識の歪みに気づいた理由

なんで絵が下手だとダメだと思わないといけないんだろう?

「そんなの当たり前にダメに決まってるじゃん!」と言われそうなこの点に疑問を持てたことが突破口になりました。

この疑問を持てたのは、過去に「失敗」の見方が変わる経験をしたからだと思います。

もともと私は研究者で「思った通りの結果が出ない」ことは日常茶飯事でした。

もしこの実験でAという結果が出たら、世界的な大発見になるぞ…!

という期待を抱いて実験するのですが、思った通りの結果が出ることの方が少なく、最初のうちは「自分は向いていない」「研究テーマが悪い」と落ち込んでいました。

しかし「思った通りの結果が出なかった」と報告をしても「じゃあ選択肢が更に狭められたから、次はこの実験をしてみよう」といつも前向きな答えが返ってきましたし、「こういう結果が出た」という内容はたとえ思い通りではなくても論文になる可能性があります。

「ダメですね」と言われるのはちゃんと実験しなかった等のときだけです。

このことは私にとって「失敗」の概念を少し変えてくれる経験になりました。絵が下手=ダメに疑問をもった原点はここだと思います。

当時の実験ノートを見ても、失敗した予備実験の記録だらけ。なのになぜ(絵における予備実験にあたる)スケッチブックが失敗だらけなのは「恥ずかしい」んだろう?

行動編①上手く描かなくてもいい

話が少し逸れましたが、絵を描いている人のほとんどは「上手く描けなきゃいけない」の呪いにかかっています。

この呪いを解くには意識的なトレーニングが必要です。

それは、「上手く描かなくていい」というマインドを無意識レベルになるまで叩き込むことです。

この練習は、その後どれだけ上手くなるかを決定する土台の部分になる、テクニックや画力よりも大切なマインドセットの訓練だと思っています。

「上手く描かなくてはいけない」環境を排除する

絵を描いている多くの人はなるべく早く、多くの作品を世間に晒して評価されたいと考えます。

しかし、下手なフェーズで十分な期間を過ごし、冒険しないと「上手い」に続く道は見つかりません。

「上手い」への道が見つからない限り、評価されることもありません。

下手な期間や、燃え尽きている間は「上手くなきゃいけない」という理で回っている世界に身を置くこと自体が自分自身を削ることになります。

そこで、デッサン教室やSNSをはじめ「上手くなきゃいけない」場所からまず身を引いた環境を整えることがスタート地点になります。

あくまで、 デッサン教室やSNS以外でも描く機会を設けられればオッケーですが、個人的にはこういう場所からは一旦一切引き払う方がリハビリは進むと思います。

「正確に描かなくては」から脱却する

これはデッサンなどでつまづき、「正確に描かなきゃ」にこだわる人に効く考え方です。

例えばこれは、元ワーナー・ブラザースのアーティストで「アイアンマン2」「かいじゅうたちのいるところ」などの絵コンテを手掛け、裸婦デッサンではアメリカで知らない人はいないライアン・ウッドワード(Ryan Woodward)のポートフォリオです。

めちゃくちゃうまいのはもちろんなのですが、よく見ると次のようなことがわかると思います。

  1. 「正確に形を取れているか」というと必ずしもそうでないことも多いこと
  2. 完成していないパーツもあること
  3. 👆のように未完成・不完全でも絵として成り立っており、魅力的なこと

これはマンガの絵柄でも顕著な現象ですよね。

絵とは、突き詰めれば「記号」であり、完璧に正確でなくても魅力的に見える「法則性がある」ということに気づいてからは、肩の荷を下ろすことができたように感じます。

うまく描かず描く

それでは実際のリハビリについてです。必要なのは紙と鉛筆、そして30分の時間だけです。

「うまく描こうとしない」ことと「楽しむ」ことを徹底的に意識して鉛筆を走らせてみてください。

もはや、うまく描けたら負けのゲームみたいに考えてください。

何かを描いてもいいし、ただ線を描くだけでも大丈夫です。30分、ただ鉛筆を走らせるだけです。

スケッチブックに残したくないなら、裏紙に描いたり、その後スケッチブックを燃やしても大丈夫です。

30分間、楽しんで描けたらミッションクリアです。お疲れさまでした。

「上手くないことは悪」というルールをまず、打ち破る

👆のリハビリをやっている間は、上手くないといけない恐怖や下手なことの自己嫌悪が全くなくなるはずです(上手いとダメなゲームですからね)。

この気持ちを忘れないでください。

そして、この気持ちを忘れないために「上手く描こうとしない」練習を続けてください。

繰り返しになりますが、これは実際の画力の上達ではなく、マインドセットの訓練であり、画力アップの土台となる訓練です。

「上手くないといけない」という考え方に縛られると、失敗しても無意識に小手先で直していい感じに「上手く」まとめようとしたり、無意識に「傷つかないために(上手くないという)認識を歪める」癖がつきます。

すると、何がダメだったのか自分自身でもわからなくなるし、指摘されても精神的に直面できないんです。

問題点がわからない・認められないと、修正することもできません。

転ぶ練習

上手くなるためには改善が必要です。そして改善するためには失敗する必要が絶対にあるんです。

上達←改善←失敗

👆を繰り返す回数が多いほど上達します。第一歩目である失敗の回数が多いほど上達の機会に恵まれるからです。

これは、自転車に乗れるようになるための練習に似ています。

転んで、何度もバランスを微調整することで、最終的に自転車に乗れるようになります。

転ばないうちは、上達しません。

しかし、失敗の回数が増えると私たちはだんだん精神的に削られます。

それは失敗=辛いこと、痛いことだという考えが刷り込まれているからです。

最初から辛いとわかっているから、怖くなって失敗できなくなり、また失敗しても失敗していないフリをするようになります。

そのため、そもそも失敗するためには「転んでも痛くない」こと、または「痛くない転び方」を覚えないといけません。

「上手くないとダメだ」という考え方は「転んだら痛いぞ」と繰り返し強調しているようなものです。

また、上手くないと辛い環境も「転んだらこんなに痛いんだ」という実証でしかありません。

だから、「いくら転んでも痛くない環境」を作ることが大切です。 この環境は同時に「いくらでも上達できる環境」でもあるんです。

楽しい気持ちの向く方へ

また、楽しい気持ちの向く方ことを最優先してください。

私はリハビリをして2日目ぐらいで「線じゃなくて何かを描きたい」「何も描いていないとつまんない」という気持ちが出てきました。

そして今は30分間勝手にランダムに画像を出してくれるQuick Posesというウェブサイトを使っています。

何度も同じポーズがでてきますが、あくまで「上手く描かずただ描く」だけなのでオッケーです。

メンタル編②「何でもっと上手く描けないんだ」という自己評価

Quick Posesを始めて数日、実際に何かを描いていると、どうしても「お手本とは明らかに違う何かが生み出されている」という現実を前に「自分は下手だ、下手は悪だ」といういつもの気持ちがよみがえってきました。

認識というのは、それぐらい狡猾で根強いものです。

行動編②プレッシャーをなくし、好奇心と遊び心に従う

それでも「上手くなくていい」と何度も何度も言い聞かせながら描き進めるうちに、次のようなブレイクスルーがありました。

  • もう正直に認めよう、自分は絵が下手だ。
  • 次に描くポーズも、その次に描くポーズも、最低100枚ぐらい下手なのは分かり切っている。だったら別に下手なのを恥ずかしがる必要なんかないじゃないか。
  • 同じ下手なら、もっと描きたいように描いたって、好奇心を追いかけたって、色んな改善策を試したっていいじゃないか
  • ヤケクソに聞こえるかもしれませんが、「上手くなくていい」という世界線であるという前提で、これが自分にとっては救済になりました。

    ひとつずつ詳しく見ていきましょう。

    上手くないことを認める

    もう正直に認めよう、自分は絵が下手だ。

    まずは「自分は上手くない」とあっさり認められました。

    上手くないといけない…という恐怖と、自分はもっと描けるはずだ!という期待がずっとあったから現実が認められなかったものの、「上手くなくてもいい」世界では「上手くない」ことを認めても何も問題ありません。

    自分の今の限界が見えたからこそ、現実的に解決策を見つめる準備が整いました。

    完成した絵が上手くないだろうと認める

    次に描くポーズも、その次に描くポーズも、最低100枚ぐらい下手なのは分かり切っている。だったら別に下手なのを恥ずかしがる必要なんかないじゃないか。

    こう考えたことによって、上手い絵を描こうとするプレッシャーが完全になくなりました。

    どうせ下手なのが分かり切っているんだったら、何も取り繕う必要はありません。

    自分を解放できた

    そしてここまで来て初めて、「あれを試してみよう、これも試してみたい」とやりたいことがどんどん出てきて、描くことがまた楽しくなりました。失敗も怖くなくなりました。

    同じ下手なら、もっと描きたいように描いたって、好奇心を追いかけたって、色んな改善策を試したっていいじゃないか

    どうせ下手なのが変わらないんだったら、何やったって一緒だし、派手に転ぶ方が改善点も分かりやすく見えます。

    だったら試したいこと全部試してみようじゃないか!と前向きになれました。

    何をやるかではなく、どうやるか

    私は、上手くないとダメだという認識や下手だという評価など外的要因にずっと苦しめられて、絵が描けなくなりました。

    大人になると簡単に失敗できなくなります。それは絵も同じです。

    でも、内的な環境を整えたことによって、少なくとも「上手くなくていい」が許される環境で絵を描いている間だけは、自分自身を許せるようになりました。

    自分の整えた「上手くなくていい」環境では、誰にもジャッジされず、好奇心を持つことや本当に好きなように描くこと、失敗することは全部許されます。

    絵をたくさん描かないとうまくならないのは変わらない事実です。

    そういう意味で、何をやるか(=たくさん描くこと)はあまり重要ではありません。

    大切なのは「どう絵を描くか、どういう学習環境で描くか」です。

    自分で安全な学習環境を作る大切さ

    ここからは個人的な余談になります。

    学習環境という文脈において、「絵が下手な者人にあらず」「正しい(=うまくなる)練習法以外は時間のムダ」みたいなアート・デザイン業界によくある態度は「理想的な学習環境」とは対極にあります。

    悲しいことに、こういう学習体験の方が圧倒的に多いです。

    だからこそ、誰に画力を見下されても心折れずに上達していけるように、自分自身で学習環境を整えることが大切です。

    安心して学ぶためには平和が必要

    そんな生ぬるい環境では上達しないという声もあるかと思いますが、私は逆にこういう環境でしか上達はあり得ないと思います。

    なぜなら「安心して学ぶためには平和が必要」だからです。

    上手くなきゃいけない、下手な自分は悪だという恐怖とプレッシャーにがんじがらめにされた環境では、自分自身が納得のいくように学んだり描いたりすることはできません。

    安心して絵が描けるように、自分自身で平和を提供してあげてください。

    まとめ

    以上、「つらくてイラストが全く描けなくなった私が、描くのがまた楽しくなるまでに行った対処法」でした!

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