サービス単価を1桁上げるときに付随して変えたいマインドセット【NFT|フリーランス|年収|副業|独立】
こんにちは!めお(@meeowmiya)です。
こういった疑問にお応えします。この記事を読んで得られることは次の通りです。
- 高単価での取引の裏側で心理的に起こっている現象がわかる
- 今まで聞いた「説明のつかないアドバイス」を整理できる
- 高単価でのサービス提供のために必要なファーストステップがわかる
私自身フリーランスイラストレーターとして生活しており「どれだけ経験やスキルを積んでも安い単価でしか取引できない」ことについては長年悩んできましたが、本記事のようなマインドセットを持って行動を重ねることで、この問題を突破するに至りました。
高単価で提供するサービスが売れるのは「高単価で商品を購入したいと思っている人」の「高い単価であるからには○○である」という主観を満たしているからで、あなたの自己肯定感やスキルなどは(ある一定以上は)関係ありません。
高単価で案件を引き受けるときに見つける様々なアドバイスは、私にとってはかえって混乱を招くことが多かったです。このようなアドバイスについても少し触れます。
それでは詳しく見ていきましょう。
目次
「価値」は人や状況によっていくらでも変化する
例えばあなたがアパートを探していたとして、次の二つの物件があったとします。
- 東京都内・駅から5分・1LDK・家賃13万円
- 東京都内・駅から5分・1LDK・家賃1万円
この情報だけ見て、あなたはどういう第一印象を抱くでしょうか?
また、例えば家族や大切な人にどっちに住んで欲しいと思うでしょうか?
私の個人的な感想ですが次のように考える人も少なからずいるのではないでしょうか。
しかしこれは私自身の感想です。
また、この家賃が例えば限界集落とかだったら1万円でも納得するだろうし、逆に13万円をボッタクリに感じると思います。
ここで言いたいのは「価値というのはそもそも主観であり、状況次第でいくらでも変わる」ということです。
私の労働階級では上のような条件だと13万円を普通と思っていますが、そもそも「都内」に価値を感じない人がいることも事実です。
逆に都内で13万円で享受できる(と現実的に想定される)生活を「ありえないぐらいレベルが低い」と感じ、リスクを取りたくない人もいるはずです。
「高い」「安い」は普遍的な基準ではなく、主観によって基準が変わる
「価値のコンフォートゾーン」
人はそれぞれ価値のコンフォートゾーンがあります。
そして、このコンフォートゾーンを上方にはみ出したときに「高すぎる・オーバーキルだ」といった印象を抱くように、下方にはみ出したときにも「安すぎて怪しい・そんな低レベルな物はイヤだ」という印象も抱きます。
私は大阪人らしく「同じ質のサービスをできるだけ安く受けること」に価値を感じ、そういったリサーチをすることは好きですらあります。
しかし「そんなことをする時間がもったいない」と感じ、無価値に感じる人もいるはずです。
別にどちらが間違っているわけではなく、単に「それぞれの主観」です。
これは価格やサービスについても同じです。
「期待される内訳」を満たす
値段も含めて、サービス体験には一定の「期待される内訳」があるように思います。
- 安いからには何かワケありだ
- 新品の本であるからには落丁や落書きはないはずだ
では例えば、ディズニーランドに行ったのに、知らない間にリニューアルが行われていて、ジブリのテーマパークになっていたらどうでしょう?
スマホを買ったのにネットに繋がらなければ?
信頼してお金を預けた銀行が粉飾決算していたら?
このように「期待が裏切られる」体験が起こるとビジネスの信頼が失われます。
「高い単価」にも同じように、それなりに期待されている内訳があります。
それは「質の高いサービス」だったり「信頼性」だったり「丁寧な対応」だったり、状況によって様々ですし、それぞれの項目の定義も様々です。
それぞれを深掘りするのはここでは割愛します。
共通して言えるのは、「高単価で商品を購入したいと思っている人」の「高い単価であるからには○○である」という主観を満たしていることこそが「高単価で案件が成立する条件」だということです。
一定以上のスキルや経験は最低条件ですが、それでも高単価でサービスが売れないのであれば、このような「高い単価であるからには○○である」という概念に自分のプレゼンスが合っていない可能性があります。
「高い単価でやりとりする人のように振舞う」ことができれば、高単価でのやりとりはだんだんとできるようになります。
高単価でサービスが売れないのであれば、「高い単価であるからには○○である」という概念に自分のプレゼンスが合っていないかも?
主観という「集団心理」
こういった疑問について、最近読んだnoteを引用したいと思います。
ミシェル・フーコーやルネ・ジラールほか多くの哲学者たちによれば、われわれの欲望のほとんどは他者の欲望である。 われわれは、他者がそれを欲しいと思っているのを見て、はじめてそれを自分も欲しいと思う。例としてはインフルエンサーが見せびらかすブランド品や、恋人ができた途端にモテはじめる現象を挙げておけばよいだろう。
相川計「働きたくないから生活保護を受けてみた。毎日が豊かになった。」
同じように、本記事の文脈で話している「主観」や「高い単価であるからには○○である」には文化的な集団心理が働きます。
藪から棒に「高い単価であるからには○○である」という思想が湧いて出るわけではなく、ある程度近い距離にいる誰かが「高い単価であるからには○○だよね」と言ったことが伝言ゲームのように伝わり、ある一定の「常識」として「高い単価であるからには○○である」という思想が生まれます。
そのため、個人個人の思想に合わせた「主観」に合わせていくことはまず不要です。
逆にある程度ペルソナ設定した後の「想定される主観」に合わせれば、ある程度社会の共通意識としての「主観」に近づくのは難しくないと思います。
混乱を招いた考え方集
次のアドバイスは、私にとってはかえって混乱を招きました。
あなたのスキルやサービスに希少価値があり、高単価で売れる価値がある
私自身、特別なスキルを要するかなり希少価値のある商品を売っているという自覚がありますが、同じような成果物でも、1万円でも高いと言われることがあれば、100万円でも安いと言われることがありました。
こういった実例がある以上「希少価値に単価がつく」という理屈では説明できないことが出てきます。
世界にひとつしかない(=希少な)物でも、それがゴミなら価値はつきません(ただし「ゴミ」の定義は主観なので、価値を与えることも可能だとは思います)
あなたが稼げる額は、自分に感じる価値を反映する
こういったスピリチュアルな内容も、理屈が通らない部分が出てきます。
人は望みがないこと、ここでは「自分にはできる!」とは到底思えないことをやり続けることができません。
こういった文脈で「できる!」と信じることで病気を治したり収入をあげた例も世界には存在します。
ウィルパワーが限界突破や成功に少なからず貢献することも事実です。
しかし一方で「できる!」と信じて失敗する人・病気が治らず死んでいく人がいることも事実です。
そのため「あなたの受け取るものは、あなたが感じる自分の価値を反映する」という理屈は、まあ場合による、としか言えず、普遍的ではありません。
お金を持っている人をターゲットにする
これも半分正解ですね(一方でギリギリの生活をしている人に借金させてでもお金を払わせるビジネスも実在する、という反論もありますが)。
お金を持っている人でも不必要な出費をわざわざするほどバカではありません。
ブラックサンダーを500円で売っても、無人島にいるとか餓死寸前とかどうしても今すぐ死ぬほど食べたいとか「ブラックサンダーは100円でコンビニで買える」ことを知らないとか、よっぽど特別な理由がない限り買ってもらえないと思います。
まとめ
以上、「サービス単価を1桁上げるときに付随して変えたいマインドセット」でした!ぜひ参考にしてみてください。
「役に立った」と思っていただけたら、シェアいただけますと幸いです。ブログやWEBサイトなどでのご紹介もとても嬉しいです!