完璧主義への処方箋「完璧じゃなくても、不完全だからこそ幸せになれる」【マインドセット|哲学|HSP|自己肯定感|自分軸】
こんにちは!めお(@meeowmiya)です。
本記事ではこういったトピックを議論していきます。本記事で触れる内容は次の通りです。
- 完璧は主観であり、思い描く完璧≠現実でも完璧
- 完璧って、実際そんなに良い状態じゃない
- 完璧じゃなくても満足できる・好きでいられる
- 不完全な物事は良くなる可能性が無限大である
私自身がそうだったのですが、完璧主義だと「完璧じゃないと満足いかないに違いない」という考え方が前提になっていて、強迫観念のように働きます。
しかし、「完璧」を実現した歴史や社会の実例について考えて「完璧」が実現不可能なことや、楽しかった思い出・好きな町などが決して完璧ではないことに気付いたことから、「完璧じゃないと満足いかないに違いない」という理屈に実態がないことがわかりました。
また、完璧主義的な考え方になっているときに👆の発見を繰り返し自分に言い聞かせて完璧主義をゆっくりと改善することができました。
それでは詳しくみていきましょう。
目次
「完璧」の失敗例
「完璧」という状態にそもそも疑問を抱くことが、完璧主義改善への起爆剤になりました。
私がこのように思うようになった実例をいくつか紹介します。
「完璧」を目指して改悪した歴史に学ぶ
歴史上、支配者が「理想を完璧に実現した社会」を目指そうとした記録は歴史に数多くあります。
- 中国の文化大革命
- ヒトラーのユダヤ人迫害
- 北朝鮮・旧ソ連の共産主義的統治
これらの政策がどれも最終的にあんまりうまくいっていないことがポイントです。
歴史を動かすような強い影響力を持つ人が完璧を追求したにも関わらず、結果的に現代史の解釈では「改悪」につながりました。
個人の思い描く「完璧」は主観である以上、いざ現実になってみると思い描いていたものとは違います。
ロシアのウクライナ侵攻は「個人の完璧主義」の良い例です。
プーチンにとっては「理想の追求」ですが、多くのステークホルダーにとっては「最悪の状態」ですよね。
このことから、「完璧」の定義は人それぞれであり、思い描いていた完璧と現実は一致しない、という知見を得られます。
「完璧」の定義は人それぞれであり、思い描いていた完璧と現実は一致しない
「完璧」を追求しても、達成されない
私は自分が生まれ育った大阪の下町が大好きです。
そのせいもあるかと思いますが、所謂「タワマン文学」に出てくるような、高層マンション・ショッピングモール・カフェ、みたいなライフスタイルをつまらない・しょうもないと感じてしまいます。
便宜上こういった暮らしを「郊外」とまとめます。
個人的な考えはさておき、「郊外」とはある種の「理想の追求」であり、「気に入らない人は来なけばいい」と言わんばかりに所得、ライフスタイルなど、完璧という一定の「枠」に収まらない人を排除するように作られています。
厳しい校則や差別、パワハラなどで「他人の思う理想を無理に押しつけられる」のが許されないのに、「自分に無理を強いてまで自分の思う理想を自分に押しつける」が許されるのは筋が通らないんじゃないか?という気づきが、自分自身の完璧主義と向き合う良いきっかけになったと思う
— めお(meow)|海外イラストレーター🇺🇸 (@meeowmiya) October 21, 2022
しかしクリティカルなのは、このような差別的・排他的なアプローチで「理想」を追求しても、人々の悩みがなくなったわけではなく、狭いコミュニティ内での格差や見栄の張り合いなどの「別の悩み」にすり替わっただけで、「完璧」は達成されなかったことです。
「完璧」を追求しても、すぐに別の不完全な物事が出てきて「完璧」が達成されることはない。
個人的な余談ですが「郊外」や「丁寧な暮らし」に対する強烈な嫌悪感が完璧主義から離れるのに非常に効果的ではありました。
不完全でも満足できる
前項では「完璧を追求しても達成されない」ことの身近な実例を見ていきました。
本項では完璧を追求しなくても満足できるという点を深掘りします。
問題があっても大好きにはなれる
「郊外」の対比として、今まで住んだ大好きな街について考えてみました。
ニューヨーク、ボストン、シカゴ、東京、大阪
空気が汚いとか、人が多いとか、どこも何かしら問題があり完璧ではありませんでした。
それぞれに好みや「主観的な完璧」がある以上こういったことが我慢できずに離れていく人もいます。
しかし、彼らがどこに引っ越したとしても、郊外には郊外の、田舎には田舎の問題が何かしら必ずあります。
いずれにしても、今まで住んだ街は決して完璧ではなかったけど、それでも大好きになれたという事実にとても勇気づけられました。
今まで「完璧じゃないと満足できない」と思っていましたが、実際は「完璧じゃない街が大好き」だったということに気づかされました。
こう気づけたことで「完璧じゃないと満足できない」という強迫観念を氷塊することができました。また、
ということにも気づき、他人の期待値に対しても「完璧じゃないと満足できないわけではないんだな」と肩の荷がおりました。
完璧を目指さないことで広がる無限の可能性
前項でも書きましたが「完璧」とは一定の枠におさまらない人を何らかの形で排除する限定的・差別的・排他的な考え方です。クリエイティビティの入り込む隙間がありません。
しかし、色々な「完璧」を思い描く人々が集まり、化学反応を起こすことで、全く新しい可能性が切り開くことができます。1+1+…+1=∞という状態です。
完璧という「枠組み」を外すことで、思いも寄らない良い方向に働く可能性があります。
それは「自分の思う完璧」とは違う現実かもしれません。
しかし「自分が好きでいられるかもしれない」現実である可能性は十二分にあり、「完璧」を諦めてでも追求する価値があると私は考えます。
「完璧じゃないと満足できない」という強迫観念で完璧主義者だった。でも楽しかった時や好きな街に住んだ時でも、全てが完璧ではなかったし、問題を抱えたり不完全さを含めての幸せだったんだよね。完璧じゃなくでも、不完全だからこそ幸せになれる、と気づいて完璧を目指さなくなり、肩の荷が下りた。
— めお(meow)|海外イラストレーター🇺🇸 (@meeowmiya) October 21, 2022
まとめ
以上、「完璧主義への処方箋『完璧じゃなくても、不完全だからこそ幸せになれる』」でした!ぜひ参考にしてみてください。
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