グリーンカード (永住権)取得のために私が行ったこと【2022年版|最優先枠|スポンサーなし|海外移住|アメリカで働く】
こんにちは!めお(@meeowmiya)です。
現在渡米5年半、社会人になって3年半。グリーンカードを取得しました。
自分で言うのも何ですが、まさか20代のうちにとれるとは思っていなかったし、この速度での取得は壮絶な戦いでした。
今までやり遂げた中でいちばん難しいプロジェクトだったと思うし、学んだこともたくさんあります。
- アメリカ人と結婚するルートに頼らず
- 移民というビハインドをとった新卒社会人が
- スポンサーなし(セルフスポンサー)で
- リストラされ、フリーランスの状態で
- 業界トップレベルの実績の証明を以って
- 社会人歴3年半で永住権を獲得した
というかなり希少なケースは、留学の先にあるアメリカ就職やビザ取得、そしてグリーンカード取得の経験談として書き残すに値する価値があると思います。
弁護士ではないのでテクニカルな部分は免責事項ですが、精神力が試される移民問題にどう立ち向かったかについては書けます。
ビザ・グリーンカードについての私の体験談は「キミにも絶対にとれるよ!」という話ではないし、だからと言って私がスゴイという文脈でもありません。
領収書を切るような気持ちで、決断の経緯や申請期間中の心境、助けてくれた人たちのことを含めて記録に残したい、という気持ちで書いています。
目次
EB-1グリーンカードとは?
永住権を取得する方法は結婚・投資・雇用・抽選と色々なルートがあり、雇用ベースではどのようなルートを取るかによって申請過程と所要時間に違いがあります。
グリーンカード取得についての日本語の情報はネットでも少ないですが、研究者にメジャーなEB-2 NIWではこちらの記事によると3-4年かかるようです。
雇用ベース永住権の中でも最も審査が進むのが早い最優先枠をEB-1と呼び、私が当時持っていたO-1ビザからの切り替えがいちばんやりやすいビザでした。
EB-1では科学、芸術、教育、ビジネス、スポーツの分野において非凡で並外れた能力を保持した人に発行されます。
採用基準がO-1ビザと似ており、O-1ビザで使った推薦状や実績の証明がそのまま使えました。
O-1取得に関してはこちらの記事をご覧ください。
EB-1では以下の10項目のうち3項目を満たす必要があります(私が申請したときに満たした項目は太字にしています)。
- 国内・国際的に認知されている賞を受賞している
- その分野において認知されている人のみが加入できるような組合や協会に所属している
- 主要な業界紙、メディアで申請者のその分野での業績を取り上げられている
- その分野の大会などで、審査員をつとめている
- 科学、教育、芸術、スポーツ、ビジネス分野に重要な貢献をしている
- 主要な業界紙、メディアにその分野に関する文献や記事が発表されている
- 自身の作品が展示会や陳列棚に展示されている
- 主要な団体において指導的あるいは欠かすことのできない役目を担っている
- その業界において非常に高い報酬を受けている
- 興業成功を収めた作品に出演している
O-1ビザ取得時にはEB-1を満たすにはエビデンスが弱かったけど、作品展の審査員をする機会などもあって半年あればケースを強くできる可能性がありました。
2018年中旬から下旬に向けて申請するため、O-1ビザ取得後、半年の休憩期間を経てグリーンカードの申請準備を始めました。
EB-1グリーンカード取得のタイムラインと費用
- 2018年1月 EB-1グリーンカード申請準備開始
- 2018年10月上旬 I-140申請
- 2018年12月下旬 I-140認可
- 2019年10月上旬 I-485申請
- 2019年11月上旬 指紋採取
- 2019年12月下旬 インタビュー通知を受け取る
- 2020年1月下旬 インタビュー
- 2020年2月下旬 I-485認可(グリーンカード取得)
- 費用 10000ドル(110万円)
移民に厳しいトランプ政権時にグリーンカードを申請したことは大きな壁になりました。
危機感を覚えた移民たちが一気にグリーンカード申請や帰化の申請を始めたため、アメリカ移民局では順番待ちがとても長かったです。
当初弁護士に1年ぐらいで取得できると言われたグリーンカードは結局取得までに2年かかりました。
社会人3年目で永住権を獲得した戦略
EB-1が難しいのは、やはり非凡で並外れた能力の証明です。
社会人3年目では正直言ってそんなものはありません。
しかし、私の所属する「メディカル・イラストレーター」という業界はあまりにも小さいため、「業界における並外れた能力を証明」しやすく、実際に「業績トップ」の実績でO-1が認可されたこともあったため、同じように業績を可能な限り狭める戦略をとりました。
例えば「イラストレーター」として世界のトップのになるのが難しくても「障害のある子供向けの教育コンテンツを作るイラストレーター」という括りでなら、競合が一気に減って断然トップを狙いやすくなります。
とは言え、もちろん大会や業界紙があったり推薦状を集められるぐらいには「業界」として成り立っていないといけないので、良いバランスを探すことがキモになります。
EB-1申請のために実際に行ったこと
EB-1を申請するために私が行ったことは、先ほどの3項目を満たすこと+推薦状を追加です。
その分野の大会などで、審査員をつとめている
私の所属するメディカルイラストレーター協会では年次学会で作品展が開催され、審査員を会員の中からボランティア制で選出していました。
立候補するだけで募集要項をひとつ満たすことができたので迷わず立候補。学会が終わり次第準備、申請できるようにするという目標もできました。
国内・国際的に認知されている賞を受賞している
O-1ビザ申請で使った実績の証明をほぼ使い回しました。
勤務先の自社製品をコンペに出すときに「連絡先」として名前が掲載されていた受賞歴や、あまり告知されておらず応募者が少ないコンペ受賞歴を掲載。業界が小さく受賞の機会も少ないため、小さいコンペでも「国内・国際的に認知されている賞」になる状態で申請しました。
主要な業界紙、メディアで申請者のその分野での業績を取り上げられている
私は「科学に特化したイラスト」を描くという仕事柄、クライアントは研究者が多く、研究がトップジャーナルに採択されれば、私の名前も自動的にトップジャーナルに掲載される状態です。
もちろんこの功績は研究の賜物で、私は虎の威を借る狐に過ぎませんが、「分野でメディアで取り上げられる」という事実はこれでクリアできました。
推薦状
メディカル・イラストレーターという「業界」が非常に小さく知名度が低いこと、また審査員に関しては公式記録がネットで公開されないため、上記の項目について推薦状を書いてもらってエビデンスを強めました。
メディカル・イラストレーターの名簿を調べ上げて自分と同じ資格や学位、業績があるのが世界で何人ぐらいいるのかも調べ、「彼女は希少な存在だ」といった内容の推薦状も書いてもらいました。
推薦者は著名なで忙しい方も多いため自分でたたき台を作り、直して欲しいところだけ直してもらうという形をとることでサインを頂く承諾を得ました。
自分の推薦状をほぼぜんぶ自分で書いている状態です。
申請開始と待ち時間
EB-1におけるグリーンカードの申請はI-485とI-140のふたつで構成されます。
上記にも書いたI-140は実績の証明、I-485は実際のグリーンカード申請です。
I-140が認可されなければI-485は申請できず、I-140がグリーンカードの最難関ステップです。
I-140
本来なら申請期間を短くするためにI-140とI-485は同時に申請するのが安全と弁護士に言われたのですが、私の申請時はI-485に一年以上の待ちがありました。
待っている間にI-140まで順番待ちが発生するのは目も当てられないため、準備ができた2018年10月に即座にI-140を申請しました。
本来6-9ヶ月かかると言われましたが、奇跡的に2ヵ月でapprovalを受けました。2018年12月のことです。
申請中にまさかのリストラ
I-140通過後、実は会社からレイオフ(リストラ)されています。
前々からめちゃくちゃな自転車操業だったので「かなり怪しい」と思っており、「リストラ準備」を十分にしていたため、解雇後もフリーランスで仕事をもらえる言質がとれました。
実際にはほとんど仕事はもらえなかったのですが、「雇用続行の合意」を得られたのはグリーンカード的には大勝利でした。
というのも、I-140の申請には雇用主を報告する必要がありましたが、解雇されたので申請し直しを覚悟していました。
ところがフリーランスベースでも雇用関係が続行するのであれば申請し直す必要はないということでした。やった!
ずっと独立準備してきたとは言え、まだまだフリーランスだけで生計を立てられるほど仕事はなく、I-485を申請できるのが先か、貯金がなくなるのが先か、我慢比べでした。
というのも、私の持っていたO-1ビザでは申請分野以外で仕事をすることができず、家計が苦しいからと言ってその辺のスタバや食堂でバイトしたりできません。
また、I-485申請が始まれば、アメリカから出国すると申請中が破棄されます。そのため当面はフリーランスに頼って収入を得つつ、貯金を切り崩して生活していくしかありませんでした。
I-485
解雇されて2ヶ月、I-485の順番待ちが空きました。
即座に申請し、6-9ヶ月の待ちがあると弁護士に告げられました。9ヶ月も貯金が持つのか・仕事が繋がり続けるかは謎でしたが、ここでも待つしかありませんでした。
また奇跡が起こり、11月に指紋採取、12月末にインタビューの通知がきました。
インタビューは1月末、グリーンカードへの最終ステップです。
インタビュー
インタビューは至極簡単で、I-140とI-485に書かれている文言に違いがないか実際に聞いて確かめるという内容です。
弁護士から「追加書類の提出を求められるので書類を集めるように」との通告があり、その中には一番恐れていた、これまでの収入の記録と今後の仕事があることを証明できる書類も含まれていました。
会社からの給与明細はリストラされた8月で止まっており、以降はフリーランスの請求書や提案書で繋ぐしかありませんでした。
移民局としてどれぐらい社会的信用を置いているかわからないフリーランスで、いくらぐらいの仕事を提示できれば信頼に足ると審査官に判断してもらえるか全くわからず、とりあえずあるだけのものを集めるしかありませんでした。
審査官は気の良さそうなオバチャンでしたが、予想通り給与明細を見て手が止まっていました。
オバチャンは「あなたのことは認可する」と言い、半信半疑ながらカードが郵送されるまでの待ちに入りました。
担当移民弁護士について
こういった声が非常に多かったので、担当していただいた弁護士さんを有料記事にて公開いたします。
有料記事部分では、担当移民弁護士の名前と弁護士事務所、弁護士事務所のホームページを記載しております。(2022年現在、HP内に連絡先の記載があることは確認しております。)
また、有料記事部分の情報は「私はこの移民弁護士さんに担当していただいてグリーンカードが取れました」以上でも以下でもありません。
有料部分はグリーンカード取得を保証するものではございませんし、契約成立を含めた弁護士業務の一切は担当弁護士に一任しており、当方は一切の責任を負いません。また、取次や紹介、質問への回答、サポートなどは一切行なっておりません。
以上をご了承の上、自己責任にてご購入ください。
まとめ
そして3月1日、ついにグリーンカードが届きました。
申請開始から1年半、就労ビザを合わせると3年半にまたがる出来事でした。
一般的なグリーンカード申請と比べると爆速だったと思いますが、私にとっては本当に長い道のりでした。
リストラされてからはもう流れに身をまかせるしかないと思っていたし、グリーンカードに通るかどうかが自分の生きていくべき場所や手段へのひとつの答えになると思っていました。
アメリカに残っていいという許可を公式に得られて、もう少しアメリカで粘ることも、フリーランスを続けることも、許されたような気がします。
思い返しながら書いてみて思ったのは、ほんとよく頑張ったよ自分…ということ。
日本人を含む周りの留学生や移民社会人がビザスポンサーを見つけられなかったり、ビザが切れたり、リストラされたりして国に帰るのを何度も横目で見てきて終始ずっと怖かったです。
ビザスポンサーなしでリストラされたのに生き残ってるのは奇跡としか言いようがありません。
推薦状を書いてくださった方々、担当してくれた弁護士には一生頭があがりません。
また我慢強く応援し、叱咤激励してくれた家族や友人がいなければ達成できませんでした。この場を借りてお礼申し上げます。
「役に立った」と思っていただけたら、シェアいただけますと幸いです。ブログやWEBサイトなどでのご紹介もとても嬉しいです!