私がビジネス書や自己啓発本を全く読まなくなった理由【読書|不安|習慣づけ|人生|ビジネス】
こんにちは!めお(@meeowmiya)です。
ちょうど3年ほど前、課題図書やリサーチなどの目的以外で、ビジネス書や自己啓発書を読まなくなりました。
それ以来ずっと続いている「ビジネス書や自己啓発書を一切読まず、自分の好きな小説やノンフィクションを読む」という習慣は、切り替えて良かったと心から思う習慣です。
本記事では、次のような点について解説していきます。
- ビジネス書を読まなくなったきっかけ
- ビジネス書・自己啓発書のデメリット
- 代わりに好きな本を読むことで起こった変化
ビジネス書や自己啓発本を読む→その待遇に位置する自分の好きな本を読むという「選択の変化」は、得られる内容だけではなく、自己肯定感や個人の責任に対しての向き合い方など、より大きな問題に対して象徴的な行為です。
この「選択」をすることで、私の幸福度は大きくあがりました。
この記事を読んでいる皆さんも、好きな本を優先することで、少しだけ幸福度が上がれば本望です。
それでは詳しく見ていきましょう。
目次
ビジネス書を読まなくなったきっかけ
①Amazonレビューと読後感が一致しない
読む本を選ぶとき、アマゾンレビューを参考にする人も多いかと思いますが、特にビジネス書・自己啓発書においてはレビューと個人的な満足度が一致しないことが多いです。
そりゃあ悩んでる人に向かって「解決策(のように一見見えるもの)」を投げかける構成になってるんだから高評価はつくのはある程度は当たり前です。
何より、肩書や著名人からの推薦を振りかざしてハイプを起こし、内容を(筆者のステータスから独立して)判断できない内容の高評価によって「良い本」とされている役に立たない本があまりにも多すぎると感じます。
時間は有限で、読める本は限られている中で「本当に良いもの」を振り分けられないのであれば、分野そのものから撤退した方が確実性が高いです。
②割に合わず、読む時間と労力がもったいない
続いて、ページ数や読むのにかかる時間に比べて得られる知識や体験のクオリティが割に合わないことがあります。
後述しますが、ビジネス書・自己啓発書は小説やノンフィクションと比べて型が決まっていて、表現の幅や読み物としての面白さはほぼ皆無です。
また、ビジネス書・自己啓発書が解決しようとしている問題は実践に移さないと結果に繋がらない場合がほとんどのため、ロジックで解決できる範囲は限られています。
本とは本来、じっくり読めば読むほど世界が広がるものですが、自己啓発書はそうではありません。
成長曲線がすぐにフラットになるので、「特定の問題に対して簡単な解決を求めて速読する」ぐらいにしないと時間も労力ももったいないです。
③タイトルと目次、あらすじとレビューでだいたい何が言いたいかわかる
こちらも後述しますが、ビジネス書の構成の大部分は「コアのメッセージをサポートのための例やロジック」でできており、コアのメッセージへの理解を深めるために使われます。
このコアメッセージが例えば「線形代数はどのような形で世の中の役に立っているのか」ぐらいの難易度のものであればこの構成は理解できます。
しかし例えば「なぜコンサル一年目で〇〇を学ぶのか」みたいな議論に、サポートの例やロジックはぶっちゃけ蛇足です。 目次やタイトル、レビューさえ読んでしまえばおおかたの内容は把握できる上で、ロジックやデータの見た目をした筆者の個人的な感想に何時間も時間を割く理由が特にありません。
ビジネス書・自己啓発書のデメリット
①全部読む必要がない
先にも述べた通り、ビジネス書・自己啓発書の内容を理解するためにはタイトルとレビュー、目次と簡単なあらすじ、百歩譲ってもネットに出ているブックレビューなどいくつか読めば筆者のおおかたの論点は推測でき、コアの内容はほとんど理解できます。
自己啓発書やビジネス書は「体験」としての読み物ではなく「解決策」としての読み物のため、コアの内容が理解できれば、全部読まなくても「提示された解決策を理解する」は達成可能です。
②ロジックの崩壊、曲解
自己啓発書の構成として、大部分はコアのメッセージを支えるロジックや例だという話をしました。
ぶっちゃけ、こういった例やロジックの多くは、コアのメッセージを補強するために筆者の都合の良いようなデータや例を持ってきているだけです。
異なる例やロジックを使ってもだいたい言っていることは一緒で、やはり大部分は飛ばして読んでも大丈夫です。
筆者のコアのメッセージに対して都合の悪い例を持ってきてわざわざ載せているビジネス書がどれぐらいあるでしょうか?
こういった自分サイドの言い分だけを載せて公平な視点が身につくでしょうか?
こういった点でむしろ読まない方がマシというケースも少なくありません。
②読み物として面白くない
ビジネス書や自己啓発書のほとんどは筆者が言いたいことを、自分の都合の良いエビデンスで固めて言っているだけの場合が多く、窓際おじさんの武勇伝と大差ありません。
そして人の武勇伝を聞かされることほどツマラナイこともありません。それが「アドバイス」の建前だとなおさらです。
表現やストーリー展開もほぼ全く同じで「自分はどう思うか」「どうして自分が正しいか」と言い続けているだけだと、読んでいて得られることも筆者のナラティブ以外にありません。
③責任の押しつけ
これは個人主義社会についての議論ですが、私たちの生きる社会は社会の問題を個人に押しつける傾向があるように感じます。
共働きでないと生活できないぐらい生活費が高いことに対して、どうして「節約しろ」と個人を責めるのでしょうか。
やらざるを得ない残業でストレスが溜まることに対してどうして個人レベルでの「健康的な生活」や「マインドフルネス」を要求するのでしょうか。
社会保障がなくなりつつある社会で、どうして「生き残るために個人で資産を積み上げる」ことを強要されないといけないのでしょうか。
確かに誰かのせいにしていては前に進みません。しかし責任の「所在」と「引受先」は別であるケースは驚くほど多いのです。
個人に押しつけられた問題に対して、ビジネス書や自己啓発書は一種の解決策を提供しているともいえるでしょう。
しかし、こういった書籍が「人生の責任」の所在が本当は分散されているにもかかわらず、「尻ぬぐい」だけを個人に押しつけるという構造は不健全ではないでしょうか。
自己啓発書の言うように、社会が変わらないから結果的に何もかも個人で責任を取らざるを得ない、結果論としての責任の引受先が個人であっても、責任の「所在」は読者だけにはありません。
このことをリマインドし続けるためには、自己啓発書は正しいというポジションから健康的な距離を取る必要があります。
特に人の意見を鵜呑みにしやすく、真面目に真摯に対応してしまいがちな人ほど自己啓発書は読まない方が良いと感じます。
代わりに小説やノンフィクションを読むことで起こった変化
①本や物語の面白さを嚙みしめられるようになった
何が起こるか、何を学べるか全くわからない小説やノンフィクションの世界に飛び込むことで、物語のワクワクや表現の面白さを再確認することができました。
引き出しが増えるので、自分の表現の幅も広がりますしものの見方も少しずつ変わっていくことが確認できます。
②真面目になりすぎず、自己肯定感が上がった
向き合っている問題と全く関係ない小説やフィクションを読むことは、問題との適切な距離を保つためにも健康的な習慣です。
「何か問題があると、自分がどうにかしなきゃいけない」という責任感の強い人こそ、適切な距離を保つマインドを学ぶことで視野が広がります。
何か問題を抱えていたとしても、あなたは楽しく生きる権利があり、多くの人や社会構造が複雑に絡み合って発生した問題を、あなた1人で解決する必要はないんです。
アマゾンレビューに頼らず、図書館で見つけた本を見た目と直感だけで借りる。
面白い本ばかりではないかもしれませんし、図書館では何の金銭的なリスクをとっていないかもしれません。
それでも「自分の直感だけを100%信じて選んだ本」という象徴的な行動は、あなたの記憶に残る経験になります。
「自分で選ぶ権利」を象徴的に優先し続けることによって、自分のことを卑下する気持ちも少しずつですが、なくなっていくようになります。
③世界が広がり、問題解決力も上がった
目の前の問題を解決することが目的のビジネス書や自己啓発書と違って、小説やノンフィクションは文字通り何が起こるかわかりません。
こういった新しい世界に触れることで、新しいことを知り、新しい世界を知ることができました。
興味深いことに、このようにして視野を広げることによって、どの分野においても「目の前の問題に集中する」ことよりも遥かに問題解決がスムーズにできるようになりました。
まとめ
以上「私が副業からフリーランスとして独立するまでに読んだ書籍50冊」でした!
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